土肥金山(1)

カテゴリ:博物館  地域:静岡


知らない人も多いと思うが、
伊豆地方、土肥にはかつて金山があった。

佐渡金山に次いで2番目に金の産出量が多く、
日本の金採掘を支えていた。


土肥金山 (1)

そんな土肥金山の跡地に建てられたのが、
テーマパークの「土肥金山」

かつての坑道や精錬所の跡地をそのまま再利用して、
金の採掘についての資料を展示している。



土肥金山 (3)

土肥金山では主に江戸時代の採掘についての資料展示がなされている。
というわけで、入口もちゃんと江戸時代風になされていたぞ。

門番の人の脇を通り抜け入ろうとすると…


「ようこそ、土肥金山へ!」


うぉっ!!喋った!!


そう、土肥金山にはいくつものマネキンがいるが、
そのいくつかが稼働し、喋る。
なんだかとっても豪華だぞ!


土肥金山 (2)

ちなみに身長は低めだった。
当時の日本人の平均身長を正確に表している。
顔はザ・日本人っていう顔。なかなか優しそうな顔だったぞ。


土肥金山 (5)

まずは坑道の様子を見学することができる。
かなり広く、たくさんの人が入れるようになっていた。

当時の形から観光用にある程度行動を掘り進めたりしたのかな?
タヌキのキャラクターが紹介をしてくれ、
いろいろと話してくれるようになっていた。


土肥金山 (4)

さて、早速坑道に入ってみよう。
しめ縄と看板で豪華に飾られていた。
当時はこんなの無かったんだろうなぁ。



土肥金山 (6)

まずは入口部分で看板などで説明がなされていた。
このあたりは足元やその周辺もコンクリートで固められており、
しっかりとした作りになっていた。
当時はもっと岩がゴツゴツだったんだろうな。


土肥金山 (7)土肥金山 (8)

当時の金の採掘の様子が小さな模型で示されていた。
なんかヨッシーアイランドでこんなステージがあったような気がする(笑)
金発掘のテレビゲームとかあったら流行るかな?


土肥金山 (9)土肥金山 (10)

当時採掘した金はで江戸まで運んでいた。
土肥は金の採掘のために非常に多くの人が訪れ、街はとても栄えたらしい。
今の港街の様子からは想像もつかない。


土肥金山 (13)

しばらく進むと天井部分と両壁が丸太で囲まれていた。
これは落盤を防ぐための工夫である。
確かに、まだまだ鉱山の技術も確立しきっていないこの時代、
記録に残らない事故なども多かったのだろう。


土肥金山 (14)

丸太の板の奥にも更に丸太が敷き詰められていた。
隙間を作ってしまうとそこから歪みが生じてしまう。


土肥金山 (15)土肥金山 (16)

鉱山を歩いて突き当りには神社があった。
これは鉱山内の安全を祈願するものであり、
炭鉱夫たちは毎朝鉱山に入るにあたって山の神に祈りを捧げていた。


土肥金山 (18)

水汲みの様子

坑道を掘り進めていくと水脈や温泉脈に当たることがあった。
そうして出てきた水を汲み出していかないといずれ坑道内にあふれてしまうため、
汲み上げる作業を行なっていた。


土肥金山 (19)土肥金山 (17)

そう、ここにいるマネキンももちろん動く!そして喋る!!
2人で協力して水を汲み出していたぞ。


土肥金山 (20)

ここの水脈は折り返しになっていた。
水が出るようになったから別ルートから掘るようにしたのかな?


土肥金山 (23)

先ほども紹介した丸太を組む作業
こちらは丸太を組んでいるところが紹介されていた。



土肥金山 (21)

ふんどし一丁で作業をする男たち。
坑道内の気温は夏も冬も一定で、19度くらいと書いてあったが、
中の湿度や、作業のしんどさを考えると一番楽な格好だったのかも。


土肥金山 (22)

天井が崩落しないようにしっかりと丸太で支える。
かなり慎重さが必要とされる作業だ。


土肥金山 (24)

こちらはふいごを回しているところ。
坑道の奥に行ってしまうと酸素が足りなくなるため、
これを回して換気を行なっていた。

もしこの時代にタイムスリップしたら真っ先に足こぎの存在を教えてあげたい(笑)


土肥金山 (25)

鉱山の労働では男女を問わず多くの人が従事していた。
かなりの力仕事だし、しんどかったんだろうな。
鉱石を取る手と手が触れ合って・・・みたいな職場恋愛もあったのだろうか?


土肥金山 (26)

こちらも坑内の作業の様子。
足元の石をどけて地面を歩きやすいようにしている。
そして写真左手にいるマネキンなのだが…


土肥金山 (28)土肥金山 (27)

怖えよ!!


どんな角度で首回ってんだよ!!


こっち見んな!!


って思わずツッコミを入れてしまった。
なんでこんな変なギミックにしたんだろう?(笑)


土肥金山 (29)

さらに坑道を多く進む。
展示エリアはなるべく当時の様子を再現してあったのだが、
通路はご覧のように足元をコンクリで固められ、
ヒールの女性でも歩きやすいようになっていた。



土肥金山 (30)

坑内に湧いた温泉

労働者たちはここで仕事の疲れを洗い流していた。
ちなみに、江戸時代まで日本は男女混浴が普通だったらしい。
文明開化の際、西洋人たちが「そんなのはおかしい!」と言ったため、
男女別となったらしい。

西洋人どもめ・・・


土肥金山 (32) 土肥金山 (31)

おじさんたちもとても気持ちが良さそう。
鉱山の労働は重労働だし、身体も汚れるし、汗もかくし、
お風呂はたまらなかったことだろう。


土肥金山 (33)

当時、鉱石は人力によって外まで運搬されていた。
使われていたのはワラスという藁で出来た袋で、
鉱石をいっぱい入れるとなんと19kgもの重さになった。
これを背負って足場も悪く、暗い坑道を進むのは並大抵のことではなかったはず。


土肥金山 (34)

金子地蔵

こちらも先ほどの神社と同様に坑内の安全を祈願している。


土肥金山 (35)

こちらでも当時の採掘の様子が紹介されている。
ここの鉱脈は土肥で金を発掘するようになって最初の鉱脈であり、
この鉱脈に沿ってどんどんと坑道が掘り進められていった。


土肥金山 (37)

奥に見える赤い部分が金の鉱脈
この岩をドロドロに溶かして、金を採っていた。


土肥金山 (38)

坑道の外へと出たところ。
ここにもマネキンが多数労働に従事していた。


土肥金山 (39)

坑道内の岩盤を支えるための丸太を作る人たち。
外でちょうどいい木を切って、さらにそれを狭い坑道にまで運ぶのは
さぞかし重労働だったことだろう。


土肥金山 (40)

丸太を運ぶ人、鉱石を運ぶ人、
さらには鉱石から金を採取する人、金を加工する人
鉱山には様々な仕事があり、さらにはそこに街ができる。
それは昔も今も変わらない。


土肥金山 (41)

ここのマネキンたちも可動するようになっていたが、
意味あるのかな?(笑)


土肥金山 (43)

さて、ところ変わって、こちらは金に関する資料館

入口にあった金鉱石。
この鉱石1tからわずか7gしか金が採れないらしい。



土肥金山 (44)

大久保石見守長安の模型。
金山総奉行として土肥金山を統括していた人。


土肥金山 (45)

当時の土肥の街の様子

先ほども紹介されていたが、金山によって栄えた街。
海がすぐなのも街が栄えた要因の1つだろう。


土肥金山 (46)土肥金山 (47)

当時の大判と小判

小判は高価であるものの、一般に流通していたお金らしいが、
大判は褒美として配られたものであり、流通はしていなかった。


土肥金山 (48)

伊豆半島には60以上もの金鉱山があり、
その中で土肥金山は最も大規模なものであった。
その総生産量は純金にして40トン以上もあったらしい。

ちなみに、2009年に解体されてしまった清越金山も伊豆の金山。


土肥金山 (49)

掘り出した鉱石を金に加工するところ
鉱石はそのままでは役に立たない。
加工して金を取り出してこそ価値がある。


土肥金山 (50)

臼で挽いて砕き、さらに選別する。
それを炉に入れて溶解する。それに一旦鉛を混ぜて合金にし、
そこから鉛を取り除いて金をより分ける。
その作業を繰り返し、より純度の高い金を得ることができる。



その2へ続く